雪あかりの道標――できたことを、抱きしめて
はじめに
人生を振り返るとき、私の胸を満たすのは、いつも誰かの温かな手のぬくもりと、雪国で育まれた澄んだ光です。魚沼の深い雪に包まれていた少女が、本の世界に憧れ、教壇に立ち、たくさんの子どもたちと出会ってきました。失敗ばかりで立ち止まりそうになった日も、茜色の帰り道に握りしめた小さな手の温かさに救われた日もありました。
この本は、教壇で出会った愛しい教え子たち、そしてかけがえのない私の娘へ向けて綴った小さな歩みの記録です。私がたくさんの人に支えられ、信じてもらえたように、今度は私があなたたちへ、変わらぬ祈りと温かな光を手渡すことができたらと願っています。
第1章白い雪と囲炉裏の匂い
昭和二十八年、私は新潟県魚沼の農家に生まれました。冬が訪れると、見渡す限りの山も田畑も灰色の空に溶け合い、やがて音もなく降り積もる雪に呑まれていきました。屋根の高さまで雪が積み上がり、一階の戸口は完全に閉ざされてしまうため、私たちは二階の窓に板を渡して外へ出入りしていたものです。世界がすべて純白の静けさに覆われるなか、雪は私たちの遊び場であり、生活のすべてでした。
小学校の低学年のころ、冬になると兄たちと一緒に、うず高く積もった雪の壁をスコップで懸命に掘り進め、かまくらを作りました。凍えた手足をすり合わせ、竹スキーで白銀の斜面をどこまでも滑り降りては、日が暮れるまで我を忘れて遊んだものです。外の寒さが骨に染みるころ、家へ駆け込むと、囲炉裏には赤々と炭が憩い、パチパチとはぜる心地よい音が迎えてくれました。灰の中にじっくり埋めて焼いたあつあつの干し芋や焼き芋を取り出し、すすを払いながら頬張る時間は、何よりのごちそうでした。外の冷たい雪のにおいと、立ちのぼる煙、そして芋の甘く香ばしい匂いが混ざり合うあの空間は、子ども心にかけがえのない安心の城だったのです。秋になれば、山で紫色のあけびの甘い実を夢中で探したこともありました。
そんなある冬の日、屋根の軒下にきらきらと光る太くて立派なつららを見つけました。透き通る氷の柱がどうしてもおいしそうに見えて、抱きつくように夢中で舌を押し当ててしゃぶった途端、激しい痛みが走りました。凍てついた氷に舌がぴったりと張り付き、取れなくなってしまったのです。あまりの痛さと恐怖に大泣きする私を見て、母が慌てて台所から湯気立つお湯を運んできてくれました。お湯で氷を溶かしてもらい、ようやく外れたときにはほっとしたものの、母には「本当に欲張りな子だねぇ」と呆れ顔で叱られました。けれど、母の掌から伝わる温かさに包まれながら、泣き笑いした日のことは、今でも鮮やかに蘇ります。
本が少なかったその雪深い村で、小学校四年生のとき、若い女性の担任の先生と出会いました。先生は教室の片隅で、「ふみえちゃん、これ面白いわよ」と、ご自身の持ち物である本を一冊、また一冊と惜しみなく貸してくださいました。雪に閉ざされ、どこへも行けない長い冬のさなか、頁をめくるだけで遠い町や知らない世界へ旅立つことができる本は、私にとって魔法の扉でした。同時に、農作業の合間に野良着のまま土の手を止め、「本を読むのはええことだ」と私の頭を大きな掌で優しく撫でてくれた祖父の温もりも、幼い胸に深く刻まれました。外の世界への扉を開いてくれた先生と、本を読む私を無条件に肯定してくれた祖父。あの温かなまなざしに背中を押され、私はいつしか「私もあんなふうに、子どもの世界をどこまでも広げてあげられる先生になりたい」と、心に小さな灯火を宿すようになったのです。
第2章桜の街で流した涙
昭和四十七年の春、十八歳になった私は、生まれ育った魚沼の山並みに別れを告げました。春になってもなお残雪の残る故郷を後にし、汽車に揺られて降り立ったのは、桜が咲き乱れる都会、横浜の教育大学でした。駅を降りた瞬間に目飛び込んできたのは、一面のやわらかな薄桃色と、眩しい陽光のきらめきでした。見渡す限りの雪景色から、まるで絵の具を溶かしたような春の街へと足を踏み入れた日の鮮烈な情景は、生涯忘れることができません。見知らぬ土地での暮らしに対する心細さはありましたが、それ以上に、幼いころから憧れ続けた教師への道がここから始まるのだという高揚感に、胸が激しく波打っていました。
大学での学びを終え、二十二歳になった春、私は川崎の小学校へ新任教員として着任しました。しかし、憧れと熱意に胸を膨らませて飛び込んだ教育の現場は、私の未熟さを容赦なく浮き彫りにする試練の連続でした。教壇に立って間もない春の遠足の日、念入りに下見を重ねたはずの山道で、あろうことか先頭を歩いていた私自身が真っ先に道に迷ってしまったのです。生い茂る木々のなかで立ち尽くす私に、後ろから子どもたちが「先生、こっちじゃない?」と心配そうに声をかけてきました。背中を冷や汗が伝い、引率の責任者として教頭先生からひどく叱責されたときの情けなさは、胸を締めつけるほどでした。さらに、初めての授業参観では、教室後方に並ぶ保護者の方々の視線に手足が震えるほど緊張し、黒板に堂々と「先性」と大きく書き間違えてしまい、教室中にどっと笑いが起きたこともありました。
春が過ぎ、夏が来ても、学級は一向にまとまりませんでした。子どもたちにどう接すればよいのか分からず、注意ばかりが増え、教室は落ち着きを失っていきました。放課後、児童が誰もいなくなった静かな教室で、夕暮れの斜光が机を照らすなか、一人ぽつんと椅子に座り、自分の不甲斐なさに涙をこぼす日々が続きました。
そんな新任の冬、一人で抱え込み泣いていた私の肩を、隣のクラスのベテランの先輩先生が優しく叩いてくださいました。先輩は穏やかな声で、こう教えてくださったのです。「ふみえさん、注意する前に、まずは子どもの名前を一日十回呼んでごらんなさい。そしてね、できたことを先に褒めるのよ」。その温かな言葉は、暗闇の中で迷っていた私の背中をそっと押し、進むべき方向を照らしてくれました。
翌日から、私は教壇での立ち振る舞いを改めました。廊下を勢いよく駆け抜けるやんちゃな男の子に、いつもなら「走らない!」と語気を強めていたのをぐっと堪え、彼が自分の机に腰を下ろした瞬間に、「席に座れたね」と微笑みながら名前を呼んで声をかけたのです。すると、いつも尖っていたその子の表情が、ふっと驚いたように、そしてやわらかくほどけていきました。子どもを変えようと言葉をぶつけるのではなく、まず自分自身の見方を変えること。至らない点を探すのではなく、できたことを先に認め、言葉にして届けること。教師としての私の歩みを支え続ける原点が、あの冷たい冬の教室で静かに芽吹いたのでした。
第3章茜色の空と小さな奇跡
三十歳を迎えて結婚し、やがて我が家にかけがえのない娘が誕生しました。産休と育児休業を終えて現場へ復帰した三十代前半のころは、私の人生の中で最も慌ただしく、まさに踏ん張りどころの日々でした。朝の冷たい空気のなか、熱を出してぐずる幼い娘を胸に抱き、胸が裂けそうになるほど後ろ髪を引かれながら保育園へ預けては、足早に学校へと向かいました。母親としても教師としても半端なのではないかと自分を責めそうになる私を、夫は何も言わず、黙々と家事を分担し、確かな温もりで支えてくれました。
どんなに学校で多忙を極めた日でも、夕暮れに娘を迎えに行く道は、私にとって祈りのような時間でした。ある秋の夕方、保育園からの帰り道、空は燃えるような美しい茜色に染まっていました。小さな歩幅で私の隣を歩く娘を見下ろすと、娘はふいに小さな手で、私の人差し指をぎゅっと力強く握り返してくれたのです。西日を浴びながら伝わってきたその小さな手のひらの確かな温もりは、「お母さん、大丈夫だよ」と私を励ましてくれているかのようで、涙がこぼれそうになりました。あの手の温かさは、迷いながら教壇に立ち続けた日々を支えてくれた、私の一番の宝物です。
そして平成の初め、三十代の半ばから後半に差しかかったころ、私は特別支援学級の担任を受け持つことになりました。それは、私の教師人生を大きく変える深い転機となったのです。受け持った学級には、感情をうまく表に出せず、言葉を全く発することができない男の子がいました。私は先輩から教わった信念を胸に、毎日欠かさず彼の名前を呼び、彼ができた小さな一歩を見つけては言葉にして伝え続けました。返事はなくても、彼が静かに耳を傾けていることを信じて、粘り強く向き合う日々が続きました。
季節が巡り、秋の終わりを告げる落ち葉が窓の外を舞っていたある夕暮れのことです。校庭の遠くからは、部活動に励むサッカー部の子どもたちの元気な掛け声と、ボールを蹴る乾いた音が響いていました。放課後の教室には夕日が長く差し込み、しんと静まり返っていました。彼と二人で並んで片付けをしていたそのとき、ふいに彼が私の目をまっすぐに見つめました。そして、小さく息を吸い込むと、澄んだ声で「せんせい」と呼んでくれたのです。
静寂のなかに落ちたその一言は、私の耳に、そして心の奥底にすうっと染み渡っていきました。息が止まるほどの驚きのあと、熱いものがこみ上げ、胸がいっぱいになって涙が止まらなくなりました。言葉が出なかったあの子が、自分の意志で私を呼んでくれた奇跡。人は信じて待つことで、必ず自分自身の力で一歩を踏み出すことができる。子どもの心の扉が開く瞬間の尊さを、私は彼から深く教えてもらったのです。
第4章ほころぶ桜と広がる海
娘が高校受験という人生の大切な節目を控えていた四十代の半ば、私の胸を強く揺さぶる出来事がありました。海外にある日本人学校の教員募集の知らせを目にしたのです。まだ見ぬ異国の地で、文化の違いに戸惑いながらも懸命に生きる日本の子どもたちに寄り添い、その世界を広げてあげたいという情熱が、心の奥底で熱く燃え上がりました。幼いころ、魚沼の雪深い部屋で本をめくりながら遠い異国に思いを馳せていたあの日の少女の憧れが、再び呼び覚まされたかのようでした。
しかし、願書を前にして何度も自問自答を重ねました。今この大切な時期に母として家庭を離れることはできない。葛藤の末に、私は母親としての役割を果たす道を選び、海外行きへの応募を見送る決断をしました。後悔はしていませんでしたが、「もし人生をもう一度やり直せるなら、一年だけでもあの海を渡り、挑戦してみたかったな」という淡い思いは、その後も折に触れて心の片隅に小さな灯火のように残り続けました。
それから月日は流れ、子どもたちと笑い、悩み、共に歩んできた教員生活にも、終わりの時が訪れました。五十八歳で迎えた退職の日、春の陽光が降り注ぐ最後の卒業式でした。校庭の桜のつぼみがほんのりとピンク色にほころび、柔らかに膨らむ木の下で、私は思いがけない光景に出会いました。かつて私が新任や若手のころに受け持ち、共に汗と涙を流した教え子たちが、立派に成長し、我が子を腕に抱いたり手を引いたりして、遠方から私に会いに駆けつけてくれたのです。
「先生、ありがとうございました」。しわの増えた私の手を握り、笑顔を向けてくれるかつての子どもたちの姿を見つめながら、私の胸は万感の思いで満たされました。道に迷って泣いていた新任の日も、育児との両立に必死だった日々も、すべてはこの瞬間に繋がっていたのだと、教師を続けてきて本当によかったと心から思いました。
教壇を退いたからといって、私の歩みが止まることはありませんでした。退職後すぐに、私は地域での絵本の読み聞かせや、外国籍の子どもたちへ日本語を教える教室のボランティアを始めました。生まれ育った国を離れ、言葉の壁に戸惑いながらも、一つずつ新しい日本語を覚えて瞳をきらきらと輝かせる子どもたち。その眩しい笑顔を見つめているうちに、退職してもなお、子どもの成長に関わり続けることこそが私の生きる道なのだと、目の前に新しい道がまっすぐに拓けていくのを感じたのです。
第5章七十三歳の青空、そしてあなたへ
七十三歳という年齢を迎えた今、私はこれまでの人生を静かに振り返り、棚卸しをしています。魚沼の深い雪に埋もれていた少女時代から、がむしゃらに駆け抜けた教師生活、そして娘を育て上げた日々。激動のように過ぎ去った時間のすべてが、今の私を形作るかけがえのない糧となっています。そして残された時間を何に注ぎ、どう生きていくべきか、自分の心とじっくり対話を重ねる日々を送っています。
驚かれるかもしれませんが、私の心の片隅には、かつて娘の受験を機に諦めたあの夢が、今もなお静かに息づいています。「海外の日本人学校へ行ってみたい」というかつての願いは、形を変えながらも消えることはありませんでした。今からでも、たとえ一年だけでも、海の向こうへ挑戦することはできないかしら。そんな問いかけが、ふと胸をよぎるのです。もちろん、年齢を重ねた今の自分に何ができるのか、現実を見つめれば決して容易なことではないかもしれません。けれど、地域での日本語支援の活動をさらに広げながら、海外へと繋がる小さな一歩を具体的に探してみようと、私の心は今も前を向いています。人は何歳からであっても、どこへ向かってでも、新しい一歩を踏み出すことができるはずだからです。
私がこれまでの人生で、教壇の上でも家庭の中でも、ずっと変わらず胸の中で大切に守り続けてきた信条があります。それは、「できたことを、先に言う」ということです。
人は誰しも、足りない部分や失敗したことに目を向け、自分を責めてしまいがちです。けれど、叱る前に、責める前に、まずその存在をまるごと認め、今日できた小さな一歩を言葉にしてあげること。「席に座れたね」「今日も教室に来られたね」「お母さんの手を握り返してくれたね」。至らない点ではなく、今日前へ進めたわずかな光を先に見つけて言葉にすることこそが、人の心を温め、自ら歩み出す勇気を与えてくれるのです。子どもたち一人ひとりと向き合う上で、それは暗闇を照らす私の一番の道標でした。
教壇を巣立っていった愛しい教え子たち、そして私の命の宝物である娘へ。この言葉を、心からの愛を込めて贈ります。
あなたはそのままで、十分に素晴らしい。焦らなくていいのです。周りの速さに惑わされることなく、あなた自身の歩幅で、今日できたことをひとつずつ重ねていってください。冬の雪の下でじっと春を待つ木々のように、あなたの歩幅で、ゆっくりとあなただけの花を咲かせていってほしいと願っています。
写真思い出の写真
おわりに
教え子のみなさん、そして愛する娘へ。
私の拙い人生の歩みを最後まで読んでくださり、本当にありがとう。雪深き故郷から始まった私の道は、いつもあなたたちの笑顔と温もりに照らされていました。立ち止まりそうなときは、どうか思い出してください。あなたはそのままで、十分に素敵だということを。自分の歩幅で進むあなたを、私はいつまでも心から信じ、応援しています。
語りAI物語(かわさき楽AIサポート)で、話した言葉からまとめました。
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